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UAC3552A+TA1101Bのゲイン調整法

秋月の隠れた名商品、UAC3552A+TA1101B基板。りんご社が設計ミスの基板を大量に作ってしまったものが流れてきたらしい。そのため改造が必要なものの、USBDACと10Wx2のD級アンプがまるごと入ってなんとお値段600円。

DAC部分は24bit50kHz。48kHzって書いてあるけどWindowsとMac双方で50kHzに設定可能。
割と普通のDACの標準的なスペックと言ったところ。32bit192kHzのハイレゾ対応の製品は高額で少ないためDACとしては48kHzが割と以前普及している感じであるが、最近のオンボードのオーディオがさりげなく24bit192kHz対応だったりするのでこれをわざわざ使うかっていうといまいち微妙かもしれない。
ただ、オンボードオーディオのフロントパネル出力ピンヘッダからフロントのイヤホンジャックまで伸ばしてくると凄まじいノイズがやってくるのでDAC基板をフロントに設置するとノイズ混入を最小限に抑えることができる。
ケツのラインアウト端子から延長ケーブル引っ張ってくれば解決するのだが、デスクトップPCの機能はできるだけ内部で完結させないと美しくない派としてはこういう方法を取ることになる。
また、Mac OSをごにょごにょしてオンボードオーディオがしょっちゅう認識されなくなる問題に対してもApple純正のこの基板を使うと必ず解決できる。

手始めの音出し改造はネットに腐るほどあるので特に説明も不要か。
solvemute.jpg
黄色いところの抵抗(0Ω)を外すとUAC3552AのミュートのGPIOが解除され、水色のところの空きランドをショートさせるとTA1101Bのミュートが外れる。

これによってひとまずイヤホンジャックとスピーカー出力の双方で音が出るようになるが、いずれの場合も予想の斜め下を行く音量しか出ないのでゲインを調節して音量を上げてゆくことにする。
この情報が意外と乗っていないのだ。DACについてはわざわざオペアンプでポストアンプをつけている人もいる。
でもそんなことをしなくても抵抗を変えるだけでなんとかなる。
データシートのサンプル回路を見ると以下のような部分があるのが分かるだろう。
eeeeac.png
これはIC内蔵の電子ボリュームを通す前の内蔵アンプのゲインを調整する部分となっている。
この図ではコンデンサ2個と抵抗3本づつの構成となっているが、秋月の基板では以下のような抵抗2本とコンデンサ1つづつのシンプルな構成が使われている。定数までこのまんまである。
lpffff.png
普通の反転増幅回路なので抵抗比(インピーダンス比)で増幅率が決まる。なぜかコンデンサがついているほうを変える記事も見かけたのだが、普通に入力側の抵抗一本を変えれば周波数特性を意識する必要もない。
7.5kΩにすれば電圧振幅2倍、5kΩにすれば3倍となる。残念ながらデシベルとかそういう表記はよく分からないんで。10の対数表示でいいのになんであんな表し方なんだろう。まあここはあまり抵抗値を下げすぎると内部の出力インピーダンスと喧嘩を始めるかもしれないのでそれ以上上げたいときはコンデンサが入っているほうを変えよう。その場合は抵抗をn倍にしたらコンデンサ容量を1/n倍にすれば無難と思われる。
もちろん、フィルタ設計がバリバリできるつおい人は自分流の回路をガンガンつないじゃってもいいかもしれない。

該当箇所は以下の緑で囲われた部分となる。左端から数えて3番目と6番目が入力である。ディスクリート抵抗を無理やり接続してもいいしチップ抵抗を買ってきて入れ替えるなり好きにしよう。
lpfofff.jpg
イヤホンで聞ければよいという人はここまでやれば十分。その場合は省電力化のために昇圧回路っぽい部品を外して、レギュレーターの入力側に10V程度以上の電圧を供給するかレギュレーターの出力側にUSBの5Vを直接供給すると良い。
IMG_0888.jpg
7.5kΩをつけてゲイン2倍にした例。意識低いカーボン抵抗でもわりと大丈夫。

ここからはスピーカー出力のDACとして使いたい人、もしくはアンプだけ使えれば十分だぜという人向けの改造になる。
こちらはTA1101Bのデータシートから抜粋した入力部の回路。
ta1101inputtt.png
一回プリアンプを通していることがわかる。まあD級アンプはそのまま信号入れるとゲイン取れないからしょうがないね。
とにもかくにもこちらもUAC3552Aと同様にシンプルな抵抗比での増幅なので好きな抵抗に付け替えれば好きな音量になる。
該当部分は下図の通り。赤枠がゲイン設定の抵抗で、ピンクがカプコン。
gain1101.jpg
赤枠左端から1番と3番が入力側、2番と4番が帰還。カプコンを外すとUAC3552Aの出力から切り離されるのでアンプだけ使いたい場合はここからケーブルを出すのがやりやすいと思われる。カプコン無しだと壊れるのでとりあえずどこかには入れておくべし。そしてレギュレーターを外せばUAC3552Aを停止できる。

てかこれほどやっても結局時間分解能でオンボに負けるのでノイズに強いケーブルを買ってきてフロントパネルまでつなげたほうが良いのかもしれない。
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オニオンドゥーム

球根というのは奇妙な存在である。ふつうの種とは違い、既に葉が準備されて層状に重なり合っている。試しに玉ねぎを上下二分割して下半分を水に漬けておくと中心の層から順番にせり出してくることが確認される。
玉ねぎを切るとき、人間は毎回こう思う。「全ての層を使い切ったとき、新たな葉はもう一枚たりとも生やすことができないのだろうか。」と。
次に想像する。生やした葉を食べつくされた植物を。
たとえ葉を生やそうと思ってももう予備の層が尽きている絶望感。
道路を這う芋虫。餌の葉の木はいずこ。嗅覚で餌を探せるのか、あるいはあてずっぽうに探しているのか。体には何の傷もなくとも、一度木から落ちてしまえば餓死を待つのみ。
胴のもげた虫。上半身の機能はまだある。移動もできる。摂食もできる。しかし消化器官を失っているために、その命は体内に残った栄養の分しかない。生命のタイムリミットが具体的な形で現れるのだ。
もし何らかの事故で自分の腸が吹き飛んだら?タイムリミットを生身で実感したとき、どんな感覚を味わうのか。何を考えるのか。

で、発端の玉ねぎについて手っ取り早く検索してみるかぎり球根の層を使い切ったときのことに言及している記述は一切見つからない。答えは恐らく植物学の分厚い本を何百ページと読んでようやく見つかるようなものだろう。

ってことは・・・ふつうは玉ねぎの層を見てもみんなそんなこと考えないということなのであろうか。それはちょっと信じがたいとしか言いようのないのだが、この世界には自分に自由意志があると思い込んでいる輩でいっぱいなのでそういうひとは多分玉ねぎについても考えないのだろう。

さて、なにも腸をぶちまけなくても人間には寿命がある。今生きている人が全員いつか死ぬとは厳密には言えないかもしれないが、人間には寿命がある。数日で死ぬか数十年で死ぬかの違いである。重症を負ってない人も負っている人もただ単にタイムリミットまでの時間が長いか短いかの違いだけで、全く同じくして死に向かっていることは明白であろう。
ところが、両者の気持ちの持ちようはまるで異なる。いや、瀕死になったことがないから実際分からないけど、少なくとも想像してみると違うから多分ちがう。
いずれ死すことには違いないのになぜ主観に差が生じるのか。もっと細かく言うならば、タイムリミットが見えていない状態ではタイムリミットを無限とみなしてしまう。死というものは概念として知ってはいるが、「そのうち」出会うもの、現在生きているこのトキからは意識する必要のないものとして捉えらえる。その状態からタイムリミットを感じさせるようなもの、玉ねぎなどを見ると、当たり前に思える永遠の生との無限の落差を思い浮かべるのである。
球根でない植物も別に永遠に生きることはないのであるから、別にその間に十分供給できる量の葉があるなら有限の蓄えで差支えない。
例えばトイレットペーパーのように目視で枚数を数えられないくらいの厖大な層があれば大して悲観も浮かばないと思うが、玉ねぎのあの頑張れば枚数を数えられそうな絶妙な厚さと数がちょうどよいのである。だがそれでも有限ではどんなに数を増やしたところで無限とは比べものにならない。使ったら使った分だけ減ってゆくというのは総じてモータルなことには変わりない。
それでなんだという話だが、死が見えているのと見えてないのとでは身の回りの見え方までガラリと変わることに繋がってくる。誰しも疲れたときに冗談で「死にたい」と思うことは何度かあるだろうが、そのときにふと本当に死ぬとしてそこまでの過程を想定したとする。この辺は年齢にもよるだろうが、とりあえず学生身分の一応人生上り坂の人間であれば、中途半端に手を付けたものがあまりに多すぎてとても処理しきれないことが分かるだろう。遺書のひとつ書くことを考えても、人生の締めに相応しい文章をひねりだせる自信はあるだろうか?仮にも他者からみてあまりに稚拙な言葉しか出てこないのならそんなんではもはや死ぬに死にきれない。
ならば何歳まで生きたら遺書を書けるのだろうか。上手い遺言を語れるようになるのだろうか。中途半端に手を付けてしまったものは、もしかしたら自殺じゃなくて普通に生きていっても結局処理しきれないのかもしれない。そればかりか、常に死の準備を意識して生きていても難しいのかもしれない。となれば何にも手を出さなければ美しく片付けられるのだろうか。
そもそも、自分で自己嫌悪している部分は他人はそれほどまで残念に思っているわけではないし、こだわりのあるところは他人から見れば多少の上手下手なんて無きに等しいことが大概である。全ては主観だけの問題にすぎない。



そんな感じでここ最近は

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IMG_0901.pngIMG_0900.pngIMG_0899.pngIMG_0903.png
作りかけで半年くらい放置されてたDRSSTCを某授業のネタのために動くようにしたり(人生でハーフブリッジ初体験だったりする)、

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金魚さんの試作品のMIDIインタラプタ―(ピッチベンド対応品)の人柱をやったり(素晴らしい完成度だった)、

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秋月のUAC3552Aの音量を抵抗一本(ステレオで二本)で変えてみたり、

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自励D級アンプを作ってみたり、

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F15っぽい機体を組んでみたり、

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高速機やってみたり、

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この戦車でTier8デビューしたり、

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酷いチーム(名前が)に入ったりしてた。


まあそういうことで今年度一年間の主要な行事が終了したので一応レビューを書くことができるようになったわけだ。
追試はありそうだけどそれは大して記述すべきこともないだろう。
というわけで、渋谷付近の某国立大学に一年間在籍してみたまとめでもしていきましょう。
理科一類の情報であるのでそれ以外の科類の人には参考になる部分はいくらか少なくなるだろう。実際のところ理一が三分の一を占めているので期待値として30%くらいある。意外とたいした数の暴力である。

他の大学の制度を知らないのであるがたぶん大体どこも必修と選択に分かれていると考えてよいだろう。
必修は文字通り必ず受けることになる科目で、選択は必修と時間が重複しなければ好きなように受けることができる科目となる。ただし出席がある授業が語学等のごく一部の授業なので単位とか関係なくただ単に聞いてみたいだけならほとんど制限なく必修でも選択でもなんでも聞ける。
選択科目は最終的に取得単位数が一定数行けばいいので沢山とって沢山落として生き残りで満たせば大丈夫っていえば大丈夫。ただし成績の数字は大変なことになる。
逆に必修は始めから科目が決まっているので一つ落とすごとに確実に色々と危なくなってゆく。一応器用に落とせば半分の単位だけで進級できるので意外とゆるそうなのだが、落とすときは大抵苦手分野をクリティカルにまとめて落とすので他は無傷に関わらずおおよそ一発で危険ゾーンに入ってしまう。ていうか現実にそうなった。
ほんと上手くバランスよく落としてボコボコなのに進級する器用な人もいるっちゃいるけど。まあ下を見てばっかりの話をしてもしょうがないのだが、国内にもっと人気な大学が存在しないために偏差値カンストしたバケモノがゴロゴロ生息しているここの環境においては潔く実力差を認めて自分に適した生き方を見つければ良いのだ。働きアリの中にはサボってる蟻と働いている蟻の2パターンがあり、働いてる個体だけを抜き取るとその中からサボるやつが一定数出てくるという現象を聞いたことあるだろう。まさしくそれだ。

ええ、これがその意識低い単位観っつーやつになるわけで、そんじゃ大まかな科目区分ごとに必修と私自身が選んだ選択科目についてレビューしていくことにしよう。
数が数だけに長いので見たい人だけどうぞ

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