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パーツ発注ミス

PowerMacG5をSSI EEB対応汎用ケースに改造する工程もいよいよ終盤、本格的な塗装を行う前に多少加工を伴うような装飾を行う。
まずはフロントパネルの電源ボタンとイヤホンジャック。

電源ボタンはひとまずおいといてイヤホンジャックについて。電子工作用に出回っているジャックはLとRの極にスイッチが接しており、プラグが入ると接点が離れるようになっている。信号極と検出機構が共通のいわゆる非絶縁スイッチである。
いっぽうデスクトップPCのイヤホン・マイクのジャックは信号極とスイッチが絶縁された構造になっている。なのでいちおう工夫次第で非絶縁スイッチのジャックをPC用に機能させられないこともないが、オーディオ用の電源とデジタル用の電源が混ざり、耳で聞くリソースモニター(負荷変動が音になってピーシャカ鳴る)と化す。

要するに絶縁スイッチのジャックを入手せねばならないわけだが、こいつの単体の入手性が中々に悪い。
ところがダメ元でアマを覗くとそれっぽいものがあるらしい。

ピン4本が1列に並んだレイアウトが絶縁スイッチっぽいし一個あたりの値段も安いし。

これが届いた実物。確かに見た目は絶縁タイプに見えるが・・・
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実態はただの非絶縁だった。
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うーんやっぱりジャンクのフロントIO基板を買って摘出しよう。

んで次にスイッチ。電源スイッチはMacについてるやつでも使えるけど、LEDのGNDとスイッチのGNDが共通している問題をどうにかする必要がある。というのもあるけど手元のスイッチに金を吹いたらディテールが潰れてしょぼくなったという理由で代替品を探す。条件として
・ランプ電圧が3V(マザボの出力が3.3Vのため)
・モーメンタリ式
・ネジ径が13mm未満(Mac筐体の穴の大きさ)
・ランプ色が緑(個人的な好み)

が揃うものを探していたら、緑LEDの製品が思ったより少なく苦戦しているうちにモーメンタリの条件を見逃して

こいつを注文してしまう。気付いたのは北京から空を飛んでいる頃。

送料無料で海を飛び超えて来たものを突っ返すのもナンセンスなので一応改造でモーメンタリ化できないか調べてみる。
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残念ながら機構部は完全に樹脂封入になっており改造は不可能。
秋月電子で売られているやつはモーメンタリ化できるとの情報があるのだが、LED色に緑がなく、またランプ電圧が12Vということでこれを色変更と抵抗置換までできる確証がないため、

3V緑モーメンタリのやつを改めて注文。径16mmだが秋月のも16mmなので致し方なし。


これは問題なくモーメンタリで動く。PCの出力は抵抗無しのLEDを直結する前提の回路なので二重に抵抗がかかってしまうが、ギラギラに眩しく光るよりこれくらい控えめのほうが宜しいかもしれない。
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ちなみに円周状に光るモノを総称してAngel Eyeと呼ぶらしい。天使ってこんな超能力者かサイボーグみたいな目だったっけ・・・?
なぜ黒+黄(金)に組み合わせる色が緑なのかは私のSNSページを見ると一目瞭然かも(すごくどうでもいい)。


それと自作PCの醍醐味である側面ウィンドウを作るためにサイドパネルを加工する。
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ウィンドウの最大面積とガイドラインを確保するために枠を基準に取る。

これが3mmアルミの一枚板なので中々切り出しがしんどいことよ。というかこんな量のアルミがあるG5はスクラップとして意外と元が取れたりして?
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ドリルの穴をつなげたりPカッターを動員したりしてみたが結局金鋸が一番手っ取り早いようだ。
Pカッターは流石に3mm相手ではかすり傷しか付けられず。

サイドパネルのガタガタの切り口をヤスリで滑らかにする地獄のような作業の傍ら、

3.5インチベイと2.5インチベイを接着剤でくっつけた。うまい具合に幅の狭い3.5インチベイを見つけたのでベイはマザーボードの領域と一切重複なしで実装可能に。それでもUSB3.0の干渉のためビデオカードの最大長は305mm。
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そして2.5インチベイのトレイも入手し6台の2.5インチドライブを搭載する準備もOK。(ダミートレイに穴を空けて無理矢理ネジ止めすれば最初から8台いけないこともない)
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筐体の最終的なパテ盛りもしつつ、8月中になんとか稼働まで持っていけるだろうか・・・。
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読者の正しい裏切り方 ~『ファイアパンチ』零落に考える

 私はつい最近まで漫画の第一話が始まる瞬間に立ち会ったことが無かった。連載誌を買う習慣がなく、漫画は完結したものやある程度話が進んでいて名作であると保証されているものを後から追いかけるだけであったからだ。
 週刊誌では毎週のランキングで作者の待遇が一朝一夕に変わったり打ち切りが決まったりする修羅場が繰り広げられるということはなんとなく聞いていたが実際の戦場を目にかけることも無かった。

 ところが去る2016年4月末のこと。少年○ャンプ+のステルスマーケティングにまんまと引っかかり、「漫画史に残る完璧な第一話」と評されることになる第一話と巡りあってしまう。

 最新2話と第一話が下記の公式ページで読める形式になっており多分第一話はずっと先まで無料で読めるはず。

ファイアパンチ | 少年ジャンプ+

 というわけで文字起こしするのも冗長なので騙されたつもりで第一話だけ読んでみてほしい。以下で多少内容は解説するがなぜこれが完璧な第一話と呼ばれるのかはステマ記事や本物の感想がインターネット上に大量にあるのでここで改めて細かく分析することはしない。

『氷の魔女』によって世界は雪と飢餓と狂気に覆われた。凍えた民は炎を求めた…! 

 あらすじはこれだけ。まあなんというか、第一話読後の印象は、あくまで第一話ということ念頭に置いてほしい。アニメーター見本市の『ハンマーヘッド』と『北斗の拳』序盤のツンデレなケンシロウが合わさったヒーローというのが自分に思い浮かぶ最良の比喩になろうか。
 被害者として無抵抗に与えられた身を砕く(焼く)苦しみから誕生し、その痛みと憎しみを神経に焼き付けられたまま苦しみの勢いだけで戦い、故に身体を徹底的に破壊されようが気に留めず敵に向かってゆくダークヒーローという点でハンマーヘッドと類似した悲観的なヒーローである。この救いのないヒーロー像は『デビルマン(漫画)』や『彼岸島』の師匠にも通じるものがあるが、物語の一話目からいきなり強烈で鮮烈な誕生シーンを、それも巧妙な舞台設定でごく自然に誘導していったことが・・・おっと分析の深入りは控えることにしよう。
 また、人為的な天変地異により不毛となった大地で、目に留まる悪党を打ちのめしてゆくが助けた民に対しては無愛想で口を利かないというところで『北斗の拳』序盤に通じる頽廃した世界観が構成されている。

 こんな解説で魅力が伝わるかは自信に欠けるところがあるが、兎にも角にも読者を「この世界観を一刻も早くもっと見たい読みたい知りたい」と焦らせる力は間違いなく漫画の歴史上類を見ないほどに強力なもので、『ファイアパンチ』は順風満帆に物語を展開・・・ できなかった。

 そう、第二話目にして早くも嫌疑の意見が頻発し、数話もしないうちに第一話の時の人気は嘘のように消え去ってしまったのだ。注目度はもはや皆無となり、「ジャ◯プ+は二度と読まねえ!」という風評被害の過激な意見まで出る有様となった。
 そうやって見限る批評を書いた人たちが本当に見限ったのかは知る由もないが、少なくとも私は毎回「あれっ?」と落胆しつつも結局、毎週最新話を確認している。

 だってやはりなんかもったいないでしょ?単行本の表紙なんてこんなにかっこいいのに(作者と違う人が描いてる)
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 さてジャンプ+の作品ページでは2話以降が非公開になっていて具体的に何がどう零落したのかお分かり頂けないのはよろしくないので、(この記事を書くために)買ってきた単行本より2話~8話の大枠および予想される批判を書き起こしておく。

2話:大部分がアグニの回想、最後に復讐を改めて誓う
(1話でせっかく誕生したのに誕生前まで巻き戻って台無し)

3話:ついてきた電気系少年サンの回想、アグニまた復讐を誓っていたら襲撃される
(復讐の意志がくどすぎて完全に説得力を失う)

4話:襲撃者と戦っていたら雪でサン埋まる。アグニ叫びながら助ける。サンの回想後アグニまた無愛想に歩き出す
(冷酷なヒーローのイメージが崩れる)

5話:ルナにそっくりな再生系女性ユダ登場、アグニとサン拘束される
(復活の予感という見せ場をあまりに早くあっけなく消費してしまう)

6話:都市に連行、アグニは銃で再生抑止され回想、サンは普通の少女ネネトと出会う
(また1話付近のくどい焼き増し回想)

7話:ネネトとサンは獣姦提案おじさん(再生系)を電撃し脱走、直後サン別の再生おじさんに脚を切られ失敗
(唐突に始まる下ネタ上等のゆるい(?)世界観)

8話:アグニ脱走しボケ老人と化したドマと対峙。直後いきなり映画のこだわりを話す人物のシーン。アグニ再敗北
(宿敵との再開という見せ場をあまりに早ry 唐突すぎる映画のくだり)


 要するに1話で完璧な展開で築き上げたダークヒーローの土台を2話から丁寧に解体して0に戻してしまったのだ。こりゃ絶対読者が離れないわけないよ・・・。いちおう9話以降のネタバレにも触れると、8話でいきなり写り込んだ人物は300年以上生きている超古参再生系祝福者のトガタ。過去の遺物である映画の鑑賞により長寿の狂気を防いで生きてきた彼女は突如映画の備蓄を破壊され、しょうがないので自分で映画を撮ることに。そこで全身が燃えてビジュアル的に強烈なアグニに目をつけ接近を図ってくる。
 1話の内容については、トガタに主人公の過去として最適と評されるのだが、これはつまり冒頭で作った「読者にとっての主人公」を「作中で作る映画の主人公」として1段階落とした構造に変化させたことになる。何なんだこのメタ。
 その後はアグニを主人公とした復讐劇を撮りたいトガタの協力によりアグニは復讐の準備を進めるが、裏ではトガタはドマやユダの側にも応戦の準備を唆していた・・・。

 何なんだこのメタ(2回目)。これは主人公を1段階落としたというよりは、更に強烈なキャラを一人出して外からまるごと包み込んでしまったようだ。しかもこいつが実在の映画のセリフを引用して喋るわ世界の秘密を全部知ってるポジションだわで何なんだこのメタ(3回目)
 1巻の内容に相当する部分についてはどんどんつまらなくなる駄作としか言いようが無いが、種明かし(といえるほどの伏線もないが)を知れば悔しいことに中々面白い楽しみ方が生まれてしまうことが否定出来ない。ここまで来たら1話の整然とした模範解答のような設定がいかに台無しになってギャグにも近いメタでシュールな世界観に変換されるかが面白くなってくる。ぶっ壊すために逆算してあのストーリーを作ったのだとすれば全て許せるのではないだろうか。

 とはいえ、失望と苦行の期間があまりにもったいないことには変わりがない。皮肉なことにも『ファイアパンチ』が作品中で作品(映画)をいかに面白く作るかという自己言及的なテーマを含んでいる事実がいっそうそれを象徴的にする。私にはこれがあらゆる作品のあり方に対する婉曲的な問題提起であるように思えてならない。
 
 それでは、この問題提起を受け止め、漫画から映画からゲームから素人が動画サイトに投稿する動画まで全てに共通する、普遍的な「裏切りの法則(勝手に命名)」について考えてゆこう。


 その前に考えたいのは、そもそも何かの作品を「面白い」かどうかということで評価することが適切なのだろうか?という疑問である。一言に面白いと言っても、例えばコメディアクションのように見た瞬間笑える面白さがあれば、ミステリーのように時間をかけた考察によって分かってくる面白さもあるので、ずばり面白く感じるまでの時間や方法に過大な開きが存在する。であるので作品批評で「面白さ」という尺度を取ると「〇〇な人にとっては面白いがそうでない人にはそうでない」というふうに全くもって定量評価ができなくなってしまう。

 では媒体まで異なる多数の作品をひっくるめてその良悪を比較するにはどうするか。ここで範囲の広すぎる「面白さ」を捨てて鑑賞中の「満足感」で比べることを提案する。荒っぽく言えば満足感を感じるのが名作で失望感を感じるのが駄作だ。鑑賞中というか、鑑賞終了直後の余韻までの範囲での満足感の推移を見れば、たいていのものはなぜそれが名作であるかあるいは駄作であるのか説明がつきやすい。
 そこで以下では満足度を唯一の次元として作品の完成度を分析する論を進めてゆく。

 満足度の高い作品の条件を考えるにあたって、まずは自分の知っている「映画をできるだけ楽しむ方法」を思い浮かべてほしい。一緒に見に行く人とか上映中の飲み物とかではなくて、知識に関わる活動で。下調べをすると文学的な楽しみ方が増えるというのはあるが、もっとも単純に楽しむなら「ネタバレを見ない」というところだろう。
 いや、本来見ないのが当たり前なはずなのだがこれほど情報の相互交換が発達した世界においてはかなり意識して行動しないとうっかりネタバレを見てしまうことが多いので・・。

 ネタバレを見ずに映画(漫画でもゲームでもなんでも)を観ることがなぜ楽しさの向上に繋がるのか。ここにコンテンツの満足度を左右する大事な要因が浮かび上がる。そう、ネタバレを見なければ「展開の予想がつかない」のであり、予想外の展開こそ満足感に直接効いてくる要素そのものの一つなのだ。

 したがって漫画や映像作品(ゲームは操作という要素があるので少し事情が異なる)のプロモーションにおいてはネタバレを避けるため中盤以前のビジュアルや設定を使い、終盤の展開は隠しておくのが定石であることは言うまでもない。プロモーションで人の注意を引くためには前半の設定だけで十分な世界観が成立するような深い話であるか、もしそれほどの深みの無い話ならば全編からプロモーションを作ることになる。そこで前者は進展につれて予想外の展開が生まれる名作になりやすいが、後者は予想外を提供できない失敗作となってしまう可能性が非常に高くなる。

 冒頭の設定だけで十分な世界観を与える良い例を挙げると、例えば『進撃の巨人』は宣伝段階で明かされるストーリーは「人を捕食する巨人が突如現れ、人類は巨大な壁に逃げ込み身を守る」というだけのもの。これに中世風のコスチュームと現実味のある戦闘方法の視覚効果も合わさってこれだけで既に十分魅力的な舞台が想起されることが想像に容易い。そして本編は入念に作りこまれた伏線と設定が編み合わさり、徐々に記憶と世界の欺瞞を暴いてゆく。作品が人気になりすぎてもはや衆知の事実となったネタバレ「巨人は人間である」をはじめとし、表向きの歴史という形で語られていた初期のストーリーが次第に覆ってゆくことで次々に予想外与えて物語は進む。
 これがもしストーリーが覆らずにずっと戦闘するだけでも作品としての最低要件は余裕で満たせるものの、典型的なバトル漫画として戦闘力のインフレでしか予想外を提供できないことになってしまうだろう。この点で、冒頭時点で既に魅力的な世界観ができているものが更に化けるという展開により、『進撃の巨人』はプロモーションの見栄え・本編の満足度の両方を達成する完璧な漫画であると断言できる。

 同じようにプロモーション段階で上手く情報を隠すことで強烈な予想外を提供した映画としては、「主人公の主観=観客の得る全ての情報」という構造を活かした『Oblivion』がどんでん返しの模範解答の一つであるし、直近では『シン・ゴジラ』が予告編やポスターで一貫して普通(腕が小さくて多少アンバランス)なゴジラ1体だけを見せていたが・・・。
 ちなみに補足するとプロモーションで観客に想像させるための情報は観客が事前に持っている印象を使うこともできる。例えば過去作のリメイクやリブートでは粗方の内容を観客は既に知っているためより多くの情報を隠したままにしておける(その代わり過去作と比較されるため酷評のリスクも上がる)。『シン・ゴジラ』のプロモーションがゴジラ一体のビジュアルだけで機能したのも観客の中で既にゴジラという概念が確立しているからである。

 以上の例より鑑賞の満足度を上げる要素として「予想外」の存在が大事であることがお分かり頂けよう。そして満足度とプロモーションを両立するためには「予想内の部分」だけで十分に新鮮で魅力的であることが必要なのだ。

 この法則はアマチュアの投稿者が作る動画の評価にもそのまま適用できる。プロモーションに相当するのがタイトルとサムネイル、というわけ。この2つが興味を引く内容でなければそもそもクリックしてもらえないが、もしクリックしてもらえたとして動画の内容がプロモーションから想像される内容と同レベルであったら、「ふーん」程度の印象しか残らず、何か予想を上回る内容を付けてようやく楽しい動画として認知してもらえるわけだ。

 もし逆に本編がプロモーションよりも劣る、すなわち誇大広告であったら?

 そう、『ファイアパンチ』は文字通りこれをやってしまったのだ。今のところは・・・。いまのところ、と表現したのは作品が未完結でこれから先立て直す可能性を考慮してのこと。WEB連載という性質上、『ファイアパンチ』は第一話そのものがプロモーションとしての役割を与えられていた。プロモーション自体はそれなりにうまくいき、ステルスマーケティングから抜け出て読者間の(インターネットを介した)口コミによる広まりの傾向もあった。その結果多くの人が更なる熱い展開を期待して次号を待ったが、読んでみたら期待した展開と何か違う。求めていたものと何か違う。予想外は予想外でも、予想を下回る予想外を思いっきり投げつけられてしまったため、過剰な期待はそのまま不満へと変わり人は作品を見限って次々と去ってゆく。

 この立ち去りは映画とそれ以外でいささか事情が異なる厄介な部分である。映画は映画館で心理的に観客を固定して最後まで見させることができるため、さいあく中盤までつまらなくても最後に一発どデカいのを上げられたら逆転勝利で満足度を取り戻せるのに対し、ゲームは飽きてやめることができるし、漫画は下手すりゃ打ち切られ、動画サイトの動画は所謂ブラウザバックをされてしまう。いくら最後に衝撃展開があったとしてもそこまで誰もたどり着かずに不発に終わってしまったらそれは最早オチのない駄作と何も違いが無くなってしまう。

 途中で去られても1再生は1再生だとか、売れさえすればあとはどこまで観てもらえるか知ったこっちゃないという立場のクリエイターも居ることは非難しないが、継続的な評判には製作者のブランド力が強く影響する以上、プロモーションの水増しでは最終的にはほとんど何も得られなくなってしまうことは覚悟しなければならない。

 これに関しては、例外と先ほど言った映画すらも劇場公開が終了しソフト販売が始まれば「いつでも視聴を止められるメディア」と化す以上、最後に立て直しさえあれば良いと悠長なことを言っていられなくなる。

 さて、予想外の存在が作品の満足度を高める要素であると散々論じてきたが、その発動タイミングがあまりに遅いと機能しないことも同時に分かった。ここで逆方向に考えてみよう。予想外が冒頭にあるがその後はずっと平坦ならどうか。
 視聴者は瞬間的に高い満足感を得るが、その後に予想外が無いならば尺の半分も至らぬうちに満足感が不満へと転じてしまう。「面白い瞬間はあったんだから待てば何かあるかもしれない」ととりあえず最後まで観る人はある程度いるだろうが、そのまま何も回復せず終わったら失望のままに終わるとしか言いようが無い。

 よって予想外が最後だけにあるのはだめ、冒頭だけにあるのもだめ。じゃあちょうど真ん中にあるのは?ってわざわざ説明する必要もなくこれも不適切。そもそも予想外が一箇所にだけまとまっていると必然的に予想外の無い時間が生じ、不満の蓄積をさせてしまう。 従って人間の忍耐力が切れる時間より短い間隔で予想外を分割して挿入し、不満の蓄積を阻止し続けなければならない。

 上で書いたプロモーションに対する本編全体の予想外を「裏切り」と呼ぶなら、この散りばめられた予想外は「見所」というものである。見所のない時間が長いと不満が溜まる、なんと分かりやすいじゃない。

 また、見所が見所たるには、各見所がいずれも直前の見所より更に予想外でないといけないことも分かるだろう。従って見所たる見所を積み上げることができれば自ずと全体が常に予想を上回り続ける時間軸が必ず完成する。これでなぜコメディ作品はあまり大したストーリーが無くても楽しいのかが分かったであろう。ストーリー派であればストーリーの予想外を切り刻んで時間軸全体に撒くことになる。

 「じゃあストーリー派だけどそんな1時間も2時間にも散りばめられるだけの合計予想外量が無いよ」という場合はどうすればいいのか?

 答えは簡単、見所の間をカットして時間を縮めれば良い。あまりに時間が縮むとボリュームが確かに小さくなるが、無理に伸ばして濃度の低いものに変えても結局ボリュームは相変わらず小さいのである。なのでボリュームは素材の時点で上限がほぼ決まってしまうと考えて良い。それならば長くするよりはできるだけ短くして不満貯まり時間を極限まで削減したほうが満足度は下がりにくい。例えば、B級クソ映画は大幅にカットして2分くらいにしても内容がほとんど減らないよね、そういうことだと思って欲しい。

 次は「でも流石に尺が短すぎるのはパッケージングが大げさに見えるようになってしまって予想外度が下がってしまうのでは?」と思うことになる。これも心配無用、尺が短いなら同じように尺の短いネタをいっぱい持ってきて短編集にすることができる。そして短編の並びを工夫してやれば短編どうしの境目が予想外ポイントとして累積して圧倒的な満足度を叩き出すのも難しくない。


 以上、満足度変化から考える名作の条件は2要素にまでまとまった。

 ①視聴前・冒頭の印象に対する予想外である「裏切り」を全体を通して設置する

 ②細かい具体的な予想外である「見所」を絶やさず入れ続ける


 丸1番の裏切りというのは何も160°くらいの転換をするわけではなく、「期待を上回る」と言ったほうが適切なのだが、期待を下回る間違った裏切りをやってしまう危険性が同時に存在することを示すためにあえてこの表現とした。2番のほうは、よく考えたら『ファイアパンチ』の2話以降は見所の積み上げが成立せず全てが積み下げとして作用していたと解釈できる。
 また、伏線の回収を放棄して謎を一方的に投げっぱなした異例のアニメである『新世紀エヴァンゲリオン』はその視覚的インパクトと舞台設定だけで強引に①と②を満たしてしまった希有な存在と言える。ゆえにデザインに惹かれる人と惹かれない人で評価が分かれることになっている。
 この2法則は時間軸が存在する媒体では映画でもアニメでもゲームでも漫画でも、果ては音楽に至ってもほぼそのまま適用できる。もしかしたら2次元表現である絵画や写真、3次元表現である立体造形にも射影を駆使すれば当てはまるかもしれない。






 ・・・・あ、これで結論で締めてもよいのだが、それでは内なるDIY精神が許さない。人に生まれたからには客さまツラして文句だけいっちょまえに喋ってないでたとえ半歩でも制作側に踏み込んで作る側の事情をその手で体感しなければなるまい。

 そんなわけで彼らに協力してもらい、一発実験をぶちかましてみよう。

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 KerbalSpaceProgram(以下KSP)のプレイ動画を素材に、裏切りと見所の法則でニコ動に殴りこんでみるのである。

 いや、時系列としては動画を作って遊んでるうちに裏切りと見所の法則を体感し、その後『ファイアパンチ』の事件に遭遇し確信を強めた時系列だけど工夫で殴りこむ意気込みだったことは確かだったし・・・あぁ多分だいたいそんな感じ。

 結果をさっさと出してしまう前にひとまずニコ動という環境について基本データを見よう。多少古い数値だが、カテゴリに入る動画全体に占めるある再生数以上の動画の割合がこちら。

1000再生以上 37.04% 
1万再生以上 6.35%
10万再生以上 0.568%
(ニコニコ大百科調べ)

 見る側の時は大体10万再生以上のものだけ観てそれ未満には目もくれないってのに作る側となりゃ10万再生は170分の1の難関だってさ、もう笑うしかないね。偏差値で言えば偏差値75~80、東大理Ⅲってどんくらいだっけ?もっと高かったっけ?
 何が動画の広告収入でガッポガポのYoutubeドリームだよ(検証したのはニコ動だけど)、中央値なんて1000再生がいいところだぜ。

 だがそれも無編集垂れ流しをそのまま貼っただけな動画の話、裏切りと見所の力さえ掌握すればこのとおり。KSPで7本上げて1万なんて言わずもがな、10万くらい軽く抜けてくれる。この記事を書いてる現在10万に届かない3本もあと数ヶ月待てば10万になるペース。
 
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 また補足しておくとニコ動にもお気に入りユーザー機能があるため、一度動画が伸びればその次も勢いを得やすくなる傾向がある。
 私のアカウントは数年前の電子工作の垂れ流しが数本あるので厳密には0からのスタートではないが、その後しばらく何も上げずKSPで初めて動画編集とゲーム関連の門を叩いた形である。
 
 探せばすぐ見つかるのでタイトルとかは隠すまでもないのだが、『シン・ゴジラ』の例で説明したように「ユーザーにとっての元祖KSP動画の印象」を想起させそれを裏切るためにニコ動極部の例のネタを使用したため、そっちがあまり好きじゃない人のことを考慮しとりあえず隠しておいた。(動画はKerbalSpaceProgramでタグ検索した1ページ目に7本全部ある)

 この過去作品の印象への便乗と裏切りは非常に強力で、初めて動画編集した粗の目立つ映像でもカテゴリランキング10位以内にすんなりと入ってゆく。というのも雑なロケットで爆発したり緑を焼くばかりでKSPの可能性の3%も使っていなかったニコ動にガチ宇宙開発を入れればそれだけで完全に予想を上回る素材となり、あとは何かの方法でプロモーションをすれば必ず炸裂するのだ。

 そして「パート分けは最初と最後だけ伸びやすい」の原理に従い2本目3本目は抑えめで4本目の一旦完結の再生数がなぜか伸びる。
 10万と行かずとも1桁後半万再生を恒常的に取ればある程度の認知を得られるため、今度は自分の過去作への裏切りという自己増殖する足場が使用可能になる。

 4本目の時点で「魅せる硬派宇宙開発」の印象が完成していたため、この先はタイトルの書式を受け継いだまま中身を100%おふざけにすり替えてしまえばよい。よって5本目6本目は脈絡のない小ネタをひたすら集積したカキ揚げ動画であるが、短編集効果による恐ろしい量の見所が発動し6本目で20万再生を突破。
 ちなみに5本目は投稿直後に誤ってカテゴリを外してしまったためしばらくほとんど伸びなかった。ニコ動では投稿後24時間のランキング推移でその後の運命がほぼ全て決まってしまうので気をつけるべし。

 最後の7本目はシングルプレイが常識だったKSPにマルチプレイを導入するという裏切りですぐ10万に。見所が減ったにも関わらず伸びやすくなったのは単純にアカウントの被お気に入りユーザー数の影響が出ていることを示しているので状況として面白くなくなってくる。
 ニコ動のKSPで最多再生は現在40万台が2本、30万台が4本あるが、ここに食い込めるかどうかは20万再生以降の挙動が予測不能なのでなんとも言えない。再生数で負けててマイリスで圧倒していればいつか追い抜くという予測もできないことはない。
 それよりかはもし再生数が欲しいのなら、溜まった被お気に入りを使い、誰も投稿していないゲームの最初の投稿者となるほうが確実性があるだろう。



 というわけで、ポテンシャルのある素材さえあれば裏切りと見所の力により短期間ですぐ上位1%くらい取れることを自分の手で実証成功。
 そういえば今はもう話題にも上らないが一時期社会現象になったYoutuberブーム、あれの量産食品レビュー動画は使い古された題材ということで予想外を与えるポテンシャル無し、サムネからタイトルから有名Youtuberの印象に便乗しておきながら撮影と編集が雑すぎて見所無し、故に便乗した印象からマイナスの裏切りをかましていて見事なまでに不満の溜まる動画の条件をこれでもかというくらいに全制覇しているという・・・。


 さて漫画批評から相当な遠回りをしてきたが、良作もとい好印象を持ってもらえる作品の構造をお分かり頂けただろうか。『ファイアパンチ』は不発に終わった見所たちをじっくり観察すると世界観をひっくり返せるような伏線らしきものが不断に見え隠れしており、写実的で美しい絵柄もあって漫画の常識を正しく裏切りうるポテンシャルは十分に秘めている。

 あとは作者が編集者や読者からの圧力にめげず見所の連鎖まで到達できることを願うしかない。

終局へ

PowerMac G5の背面のつぎはぎ加工ができネジ穴の補修もおよそできたので全体像を見ることと、また塗装練習ということでとりあえずケースの試し塗りをしてみることにした。

塗装はほんとのほんとうに未経験なのでネットの評判を見比べつつ無難っぽいこの三種をまず購入。
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ひとまず2面づつに塗って組み立て。
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別アングル
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サイドパネル固定レバーをなんとなく金で塗り分けしておいてある。

つや消し黒は重ね塗りするだけでどこから見ても均一な質感になり、感触もサラサラの塗膜となって非常に良い感じなのだが、金がどう重ねても反射にムラが有り、また表面がツヤあり系のため周りの色が映り込み銀っぽくなってしまった。さらに下地の油分に非常に敏感に反応するらしい。

そこで金の部分はシリコンオフ+プライマー+つや消し白+金+つや消しクリアで徹底的に散乱を均一にする方針に。
というか油分をどうにかできても乾燥中に飛来した埃はどうすればいいんだろう。
スプレー缶も単体は高くないけど何本も買うとバカにならない金額になってくるのでどうせやるなら数本追加して仕上がりを良くしたほうがいいと思われる。

でここで全体像を把握するために内部もそれっぽく組み立て。
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電源と干渉せず拡張カードスロットを9本まるまる実装することができるようだ。
写真左側の2.5インチベイはまだ固定していないが裏から線を通せるように浮かして固定する予定。
2.5インチはそんな感じでどうにでもなりそうだが、問題は3.5インチのほう。

というのもマザボのこんなところにUSB3.0がおっ立っているせいで
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この上空エリアに3.5インチのドライブを設置できなくなるのだ。L字でUSB3.0を引き出すアダプタがあれば良いのだが、調べた限りそんなものはない。
しょうがないのでこのUSBコネクタよりも上側の空間にHDD2台を収納することにしよう。
既に2.5インチ8台と5インチ1台があるのに対しマザボのSATAは10本のため2台でも多少過剰気味ではあるが。

これからSSDはM.2のような基板直付が主流になりPCの省体積化が進むと良いなあ。
市販ケースなんかはMicroATXのマザボ一つを収めるために無駄な空間ばかり使っているし。
さらに最近のCPUは低電力になり大きな冷却ファンを要しないのでファンの高さ制限を規格にして、拡張カードをCPUの上にかぶせるようにしたキューブ型PCが普遍化すればミドル-ハイエンドマシンが今よりずっとコンパクトに構成できるだろう。

背面はエポキシとつや消しスプレーの魔法で市販ケースと見紛うビジュアルへと変化。
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塗膜がある程度の段差は均一化してくれるのでパテと金属の境界を400番以上のサンドペーパーで慣らしておけば一体化する。
そのかわり、塗装がサーフェイサーのようになるため肉痩せしてへこんだ部分が見えてくる。素の面では反射などによりそれがわかりにくかったが塗るとはっきりわかるようになった。
これを元にパテの足りない部分はもう一度埋めて再塗装することになる。とはいってもこれ背面だし使用時には一度も見ることがないという・・・。
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